午前十二時、バス停前で




 現在、十二時三十七分四十秒。約束の時間から、三十七分四十秒経過している。
 なのに、貴は来ない。
 三十七分五十秒経った。
 高校前のバス停は、平日なら生徒たちで大賑わいで、ベンチの取り合いで熾烈な争いが繰り広げられているところなのだが、今は春休みの真っ最中なのでそれはない。
 校門に向かってずらっと植えられている桜の木は、もう終わりがけだ。
 今年は物凄く花が咲くのが早かったらしい。
 うざったいくらいの桜の花弁が、風にさらわれて足下にサラサラ落ちる。
 絨緞みたいに敷きつめられたそれを、意味もなく踏み潰した。
 茶色くなりかけた花弁は、地面に落ちれば土に還ることができるのかもしれないが、ここは学校前通り、黒く灼けたアスファルトの上に散ったってしょうがない。
 大分苛ついてると、自分でも思う。
 貴がのこのこ現れやがったら、絶対ぶん殴ってやろう。
 また一台、バスが通り過ぎて行きやがった。
 ご丁寧に「バスを待っているらしい」自分のために乗車口を開けてくれた。
 誰も乗らないんだとわかると、バスは残酷にバタンと扉を閉めた。そのバスの胴体には旅行会社のものらしい「春爛漫お花見ツアー」の広告が貼ってあって、これみよがしに排気ガスをぶちまけながら去っていった。
 お昼の往来に流されるでもなく逆らうでもなく、無気力に留まっている自分。
 馬鹿馬鹿しくなって、立ち上がった。
 時間を見たら、もう一時になるところだった。
 高校生の短い春休み、その貴重な一時間近くを、あいつは踏みにじったんだ。
 それだけあったら、何が出来たよ? 怖い教師のつまらない授業の合間にスリリングに居眠りするよりも、よほど自堕落で甘ったるい睡眠を味わえたんだ。
 もういいよ。
 貴なんかと待ち合わせしたのがいけなかった。
 いや、待てよ。
 もしかして、こっちが時間を勘違いしたのかもしれない。
「十二時ねえ」と貴は間の抜けた声で言ったように思ったが、実は「自由にしねえ?」と尋ねたのかもしれない。もしそうだとしたら、思い切り頷いた自分が悪いのか。
 場所を勘違いしたのかもしれない。「バス停にしよーなあ」と間延びした声は、実は「場所指定ないよな」と言っていたのかも知れない。もしそうだとしたら、「オッケー」なんて軽く言った方の思慮が浅かったのか。
 時間も場所も決めなかったと言うことは。
 これは、会う約束をしたってことにはならないよ。
 もう一度ベンチに座り直した。
 携帯に何度も電話をかけてみた。
 でも、貴は出なかった。
 もう一度だけ、携帯のあいつの番号を呼び出してみる。
 これが駄目だったら、大人しく帰ろう。
 六度目のコールの後、電子音は留守電サービスの女の声に切り替わる。あいつは留守電聞くような奴じゃないから、そんなことしたって無駄だ。
 くそったれ、と口の中で呟いた。
 地面を蹴り付ける勢いで立ち、家の方向を向いた。帰ってやる。
「あー!」
 締まりのない声が、後ろから聞こえた。
「あ」
 もしかしたらと思って振り返ると、そこには貴がいた。
 いつもの格好。寝起きなのかスタイルなのかよくわからない頭。その天を向いて勇ましく立ち上がっている髪に、白い小さなものがくっついていた。
 よく見たら、それは、桜のはなびらだった。
 それは脳味噌に種を撒いたらぴょこぴょこ芽が出てきそうな貴らしくて、「四月ばか」を王道で実践するようなあほらしさで、怒りも忘れ呆れるのも通り越し、失笑していた。  視線が頭部に注がれていることなど気づきもせず、貴は手を合わせて、必死に謝った。
「遅れてゴメン。ほんっとゴメン」
「いいよ。早く行こうよ」
「怒ってねえ?」
「あたし、怒ったりしないよ」
「ホントゴメン、俺、寝坊してさ。せっかく花見行こうって誘ってくれたのに……」
「バスもうすぐ来ちゃうよ」
「あっ、ゴメン可奈子、俺、財布忘れた」
 んだと、このバカヤロー。
 そう怒鳴りたかったが、へらっと笑った貴を見て、やめた。
 まるで蕾が花開くような笑顔。
「いいよ。取りに帰ろう」
 その顔一つであんたを許してやれる、私の寛容さよ、くそくらえ。




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この作品は文芸部誌に掲載したものを修正したものです。