風車の節












 珠里は、城下の茶商の家に生まれた。
 父母と祖母は跡継ぎになる男児を熱望していたので、珠里の誕生は誰からも残念がられた。
 とくに祖母はすさまじく嘆き、ことあるごとに娘を産んだ母を詰ったという。
 父は我関せずをきめこんでいたので、母は大変に苦労をしたのであろう。
 そんな折、御領主の朱家に男児がお生まれになり、乳の出る女を求むるとの触れが出された。望まなかった女児の世話と姑の罵り立てにつかれはてていた母は、身一つで朱家に飛び込んで、見事に若君の乳母の座におさまってしまった。
 母はそのまま御領主のお屋敷に住まいをいただき、家には年に数度帰ってくるばかりになった。
 置き去りにされた珠里は、入れ替わり立ち代りする小間使い(実際は父の妾たちであった)によって育てられたようなものだった。
 祖母は、幼い珠里をぶっては母を罵った。
 跡継ぎを産まぬまま家を出、お屋敷でふんぞり返っている嫁に対する怒りを、その娘で晴らしていたのであろう。父母を離縁させようとも朱家の威光を畏れてさせられず、また若君の乳母を出した家ということで店への客足も増えていた。それが祖母には何よりの屈辱であったのだろう。
 母は、祖母と父とはもちろん、使用人たちとも険悪な仲であった。それでも、帰省のたびに珠里のために玩具や着物を持ち帰ってきてくれた。
 珠里に子供のための華やかな袍(うわぎ)を着せては、母は「やはりおまえには似合わないわね」と笑った。
 珠里は母からもらったものを大事に大事にしまっていた。祖母の目につけば、取り上げられたり壊されたりしたからだった。



 一度だけ、店の丁稚に連れられてお屋敷に行ったことがある。
 母が家に残していた身の回りの品を、すっかりお屋敷に移してしまうためだった。若い丁稚が、母に会うこともできようと、父に許可を得て珠里を連れて行ってくれたのであった。
 珠里は、幾つかの行李と一緒に荷車に揺られ、立派な裏口まで行き着いた。
 母はしばらくして慌しそうに出てきた。仕事の真っ最中であったのだろう。
 珠里は車を降りて母に駆け寄ろうとした。
 しかし、その前に、母を追って珠里と同じ年頃の子供が飛び出してきた。
「嘉耶!」
 子供は母の名を呼んだ。母はすぐに気がついて、困ったような顔をした。
「まあ、ここには面白いことは何にもございませんよ。お戻りくださいまし」
 母は子供の前に跪き、その小さな両肩を抱いた。
 黒い髪の、やんちゃそうな男の子であった。上等の袍を着て、手には青色の風車を握っていた。
 子供は荷車のうえの珠里を見遣り、母に向かって首を傾げた。
「このこはだれ?」
 母は、珠里の見たこともないような優しい笑みでそれに答える。とろけるような表情だった。目が、可愛くてたまらない、大切でしかたない、そんな風に言っていた。
「嘉耶の娘でございます。――珠里、おまえ、わかぎみさまにご挨拶もできないの」
 珠里は車から引き摺り下ろされ、頭を下げさせられた。
 ああ、これがわかぎみさまなのだと、珠里はぼんやりと子供を見つめた。
 おかあさまの宝物。
 きれいで、健やかな男の子。
 この子は、男の子だったから、珠里の母を独り占めにできるのだ。
 視界が涙で滲んだ。
 若君はじろじろと珠里を値踏みしたあと、ふんと胸をそらされた。
「やる」
 そうおっしゃって、若君は手にしていた風車を珠里に差し出された。
「わかぎみさま、それは、わかぎみさまの一番のおきにいりではありませんか」
 母が困った様子で止めたが、若君はお聞きにならなかった。
「いい。やる」
 桜色の唇を尖らせ、若君は珠里に向かってそれを突き出された。
「ほら、珠里。いただきなさい。お礼を申し上げなさい」
 おそるおそる手を伸ばした。自分が触ったら若君のお手が汚れてしまうと思ったのだ。
 珠里は、そっと風車の柄を握った。
 すると、若君はぱっと身を翻し、風のようにお屋敷の中に入ってしまわれた。
 珠里はそれを瞬きしながら見送った。
 

 
 その年の末のことであった。
 帰省を終え、母がお屋敷に戻る日の朝、珠里は風邪を引いて熱を出してしまった。
 いつもは父にも祖母にも寝床にほったらかしにされていたけれど、母にはそばにいてほしかった。母がいる日は珠里にとってお祭りの日よりも格別だったのだ。いつも若君が独り占めしている母に、珠里が甘えられる日だったのだから。
「おかあさま、おかあさま、いかないで」
 若君にしていたように、優しく触ってほしかった。
 弱弱しく取りすがった珠里に、母は苦笑ともしかめ面ともつかない表情を見せた。
「わかぎみさまがお屋敷でお待ちなの。おまえはいい子だからひとりで大丈夫でしょう? また、綺麗なお土産を持ってきてあげるから、堪忍ね」
 そのあと、祖母の口から、母の持ち帰る土産はすべて若君に飽きられたお下がりなのだと聞かされた。捨てるよりはとお屋敷の方々によって持たされていたのだった。確かに、玩具も袍も、よく見れば男の子のためのものだった。
 与えられていた品々は、会えない日々の埋め合わせでもなんでもなかった。
 母の愛情の、若君の食べ残しだった。
 いい子にしていても、母は珠里のものにはならない。
 けれど、いい子にしているしか母に好いてもらう方法がなかった。
 若君のことを大嫌いになったのに、青い風車は捨てられなかった。





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